ゲイ映画「ある少年の告白(Boy Erased)」を一足先にトロントで見てきた。ネタバレなしのレビュー
こんにちはトロント滞在中のKaiです。
Boy Erased(邦題:ある少年の告白)の日本公開が決まりました。2019年4月に公開されるみたいです。
最近日本でも同性愛を題材にした映画がよく上映されていて、それだけ同性愛が社会に認められ始めているのかなと思うと嬉しく思います。
僕は一足先にトロントの映画館でゲイのお友達と一緒に観てきました。
この映画を観て、僕は主人公と同じゲイとしてすごく胸が痛かったです。でも観て良かったと思える作品でした。ネタバレなしで、自分のゲイとしての経験とともに紹介したいと思います。
あらすじと予告編
アメリカの田舎町。牧師の父と母のひとり息子として、何不自由なく育った大学生のジャレッド。彼はある時、思いがけない出来事をきっかけに、自分は男性のことが好きだと気付く。
しかし、ジャレッドの告白を受け止めきれない両親は、同性愛を“治す”という転向療法への参加を勧めるのだった。そこで彼が目にしたプログラム内容は、“口外禁止”とされるほど驚くべきもの。
自らを偽って生きることを強いる施設に疑問と憤りを感じ、ある行動を起こすが――。
人は、なぜ愛する家族にすら変わることを望んでしまうのか。怒り、悲しみ、絶望が入り混じる中、その先に一筋の眩い希望をもたらす魂の告白。胸を打つ人間ドラマが繰り広げられる。 (映画サイトより引用)
予告編だけで胸がモヤモヤしますね…なんとも言えない感情。悲しい話だけど、とても感動します。
事実を元に作られた映画
この映画はガラルド・コンリーさんという同性愛者の方が実際に体験した物語だそうです。イケメン…笑
同性愛やLGBTQが理解され始めた現代に生まれた僕(21歳)にとって、この映画は(こんな施設や教育が本当にあったんだ…)とすごくショックを受けるものでした。一部の国では同性愛者が結婚できたり子育てができる時代の中で、今となっては信じられないお話ですよね。
しかし、残念なことに現代でもアメリカでは同性愛を治す矯正施設があり、そこに通っている方がいるみたいです。同性愛って治せるものじゃないのにな…
そんなガラルドさんはこの衝撃的な過去とともに、現在LGBTQをサポートする仕事をしているそうです。同じような辛い経験をしたマイノリティの方を助けているみたいです、よかった、、
この映画は決して明るい話ではありませんが、性的マイノリティが認められ始めた現代に生きる僕たちが観るべき作品で、こういう事実があったことは忘れてはいけないと思います。
3つの視点
また、自身のアイデンティティに悩む主人公や施設の若者、彼らの家族、同性愛は病気だと思っている施設の職員、それぞれの視点で考えさせられる作品だと思います
ゲイの主人公の視点
僕は主人公と同じ同性愛者として、ついつい感情移入をしてしまいました。
家族にカミングアウトをする勇気、転向療法を勧められたときの気持ち、両親のためにヘテロセクシャルに戻りたい気持ち等、主人公の辛い思いがとても伝わってきました。
彼は施設で行われていることは間違っていると理解しているものの、自分のため、そして家族のためと堪えながらセラピーを受けています。しかしある時、彼はある行動を起こします。
小学高学年のときに僕は男の人が好きかもしれないと気づき始め、(周りの友だちは女の子が好きなのに僕だけ違う…)と自分のアイデンティティについて悩んだことがありました。だから主人公のアイデンティティについて悩む姿は、昔の自分を見ているようですごく共感したし、両親を傷つけたくない気持ちもわかりました。でも、施設でもがいている主人公をみて「そんなところにいる必要ないのに…」と言いたくなるような気持ちになり、胸が苦しくなりました。
また、作中には、予告編でもチラッと見られますが主人公のフィアンセが登場します。しかし2人は体の関係をもったことがなく、彼女はこの関係に不安を感じており、彼のことを心配しています。
僕もゲイだと自覚し始めた中学生のとき、周りにバレるのが怖かったし、女の子を好きになるのが「普通」だと思い、彼女を作ったことがあります。しかし、彼女のことは好きでしたが、性的な目で見たことはありませんでした。今となってはひどいことをしたなと思っています。
だから主人公が彼女のことは好きだけど性的対象としては見られないという気持ちはわかるし、同時に、彼女が傷ついているのを見て悲しくなりました。
両親の視点
どんな親でも子どもからカミングアウトをされたら最初は驚くだろうし、息子がゲイでよかったと喜ぶ親なんて少ないと思います。
しかし、親は親。どんな子どもだとしても愛していることには変わりがない。それが例え、息子がゲイだということを受け入れられず、転向療法に参加させようとしても。
それが正しいかは別として、愛しているからこそそういう決断をしたんですよね。
両親は息子のために矯正施設に通うことを勧めます。
映画の中で両親の心情も少しずつ変化していくのですがーー
僕が一番見ていて辛かったシーンは、息子にカミングアウトをされたときの両親の反応です。予告編でも見られると思うのですが、すごく衝撃を受けています。
僕はこのブログでゲイということを公言しているし、学校の子にもこのブログのことを教えているので気づいてる人はいると思いますが、家族にはまだカミングアウトをできていません…。
施設の職員の視点
映画の中でもちろん主人公や施設の若者、彼らの家族が苦しんでいるのを見ていて可哀想だったのですが、同時に施設の職員にも同じ気持ちを抱きました。
彼らは善意で同性愛を治そうとしていて、本当に治せるもの、病気だと思っています。
ただの差別じゃないんです。同性愛に対する嫌悪感ではなく、同性愛者を病人としてみています。そんな彼らを見て、彼らも同性愛は病気だと教えこまれて育ってきた時代の被害者なんじゃないかなと思いました。
ゲイであることに対して差別されるのも嫌だけど、病気として捉えられるのも辛いです。どちらも嫌なのは変わらないけど、全く意味が変わってきますよね。
ちなみにこの映画の監督であるジョエル・エドガードンさん自身が、転向療法施設のボス役を演じています。(上の写真の方)
邦題に対する違和感
原題である "Boy Erased" は直訳すると「消された少年」
この映画は、同性愛を治そうと転向療法に参加することになった男の子の話です。ゲイとして生きたいのにそれが許されず矯正されるお話なんです。だから "Boy Erased"、消された少年というタイトルなんだと思います。
しかし邦題では「ある少年の告白」となっています。邦題が元のタイトルとは違うことはよくあると思うのですが、この映画の場合イメージがガラッと変わってしまいませんか?
ある少年の告白って、なんかカミングアウトの物語みたい。
この映画は、主人公が同性愛者だとカミングアウトする物語ではありません。告白はするのですが、そこがメインではななく、転向療法へ参加し、主人公、家族、施設の若者達が葛藤を抱きながら成長していく物語なのです。
だから邦題をみたとき、2つの単語にこの映画の意味が含まれている”Boy Erased”とは違って、少し内容と邦題がズレていると思いました。
そもそも邦題って誰が決めるんでしょうかね
この映画を見て思ったこと
まず、この映画の内容が事実であることに驚きを隠せないし、今でもそんな施設があるのかと思うと悲しくなりました。決して明るい話ではありません。でも、主人公と同じゲイとして、この映画を観てよかったなって思います。
先程お話したように、僕はここでゲイであることを公言しているし、このブログのことは学校の友だちにも知らせているので、中には僕がゲイだと知らなかったけどこのブログで気づいた人もいると思います。しかし、まだ家族にはカミングアウトをできていません。いずれしたいと思っているのですが、理解されないのが怖いという気持ちよりも、親を傷つけたくないという気持ちが強くて、今の僕にはまだ告白はできません。
この映画の主人公も、自分のためではなく、家族のために転向療法を行くことを決めたんだと思います。
同性愛者の方はこの映画を見てほしいです。いや、ゲイの方だけじゃなく、ゲイやバイの友だちがいる人、自分のアイデンティティに悩んだことがある人、もしくはゲイの方と出会ったことがない人、全ての人に見てほしい映画です。
僕は見終わった後に、今の時代に生きていて良かったと思ったし、ゲイとして誇らしく生きたいと思いました。自分らしく生きられないなんて悲しいですもんね。
そして主人公が可愛いので見てほしいです。笑
Boy Erased / ある少年の告白